追悼の辞

 同僚、小池貴訓議員への追悼の辞を述べる日が来ようとは、想像だにすることなく、痛惜の念に堪えません。

 去る2月18日、貴方は突然、この世を去られました。その前日も一緒に活動し、いつもと変わりなく夜も連絡を取り合い、お互い約束をしていた当日の朝、急性心不全による本当に急なお別れでした。

 議員各位のお許しをいただき、小池貴訓議員の急逝を悼んで、ここに追悼の辞をささげます。

 昭和45年、小池貴訓議員はこの地に生まれ、高校卒業後は家業を継ぐために、お父様が経営する会社へ入社されたそうです。その傍ら、朝霞市商工会青年部では、地域振興発展と新しいまちづくりのため、多くの仲間とともに尽力されました。

 小池貴訓議員と出会ったのも、貴方が朝霞市商工会青年部第32代部長を務めておられた、平成21年の頃でした。その活動は朝霞市を超え、埼玉県商工会青年部連合会副会長、第一ブロック長として、埼玉県下多くの仲間に慕われ、頼りにされる存在であったことを思い出します。

 お互い議員になるなんて、想像もしなかった頃からの付き合いでしたが、私が急に政治の道へチャレンジすると言い始めたときは、後輩である私を一生懸命に応援してくださいました。そして、その4年後には「自分も一緒に政治を目指したい」と打ち明けてくださり、令和元年12月、小池貴訓議員は見事に初当選を果たされたのです。

 議員活動をスタートしてからは、まさに水を得た魚の如く、本当に生き生きと議員活動に邁進されておりました。取り組まれたテーマは多岐に渡りますが、朝霞市消防団第六分団長を歴任されたご自身の経験を踏まえ、災害に強いまちづくりには特に強い熱意を持って、全力プレーで朗らかに取り組んでおられました。

 市議会では、そのノーボーダーなお人柄で、会派を超えて多くの方とコミュニケーションを図り、市議会の潤滑油としての役割を果たして来られました。そして周囲からの信頼により推挙を得て、1期目後半には総務常任委員長、2期目である現在は教育環境常任委員長を務め、公正なる知見と穏やかな性格をもって、立派にその職責を果たされている最中でした。

 朝霞市議会会派のひとつ、あさか未来の名付け親は、貴方です。「市民が主役、子供達の未来のために」というあさか未来のスローガンにも、貴方の思いが込められています。市民のために、子供達の未来のためにと、情熱を持って取り組んで来られた貴方の信念は、これからも多くの市民の中に生き続けることでしょう。

 享年54歳、旅立つにはまだまだ早い。市議会としての損失の大きさはもとより、思いがけない別離を迎えられた奥様、お二人のご子息、そしてお父様の悲嘆がいかばかりであるか、察するに余りあるものがございます。

 我々も、この寂しさが薄らぐことはありません。小池貴訓議員のご冥福を心よりお祈り申し上げますとともに、志半ばで旅立たれた貴方の思い、貴方が残された言葉の数々を我々はしっかりと受け継ぎ、微力ながら本市の発展に寄与することを誓いまして、追悼の辞とします。

 小池貴訓議員、有難うございました。

 令和7年3月24日
 朝霞市議会議員 田原亮